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1年目を終えて②~自分が出来ていたことが出来ない~

前回の『1年目を終えて①~自分の存在を知ってもらう事の大切さ~』に続き、本日は第二弾の自分が出来ていたことが出来ない、についてまとめてみました。

自分が出来ていたことが環境が変わると出来なくなると結構焦ります。

元々弁は立つタイプなので、言葉が変わっても多少は大丈夫だろうなんて思いもあったんですよね。まぁ一瞬にして打ち砕かれるわけですが(笑)言ってもコミュニケーションの基本は言葉です。もちろん、表情や仕草もその一部ですが、言葉でコミュニケーションがとれないという焦りはその表情や仕草からも自信を奪います。

更には営業という比較的ソフトスキルが要求される仕事をしていたので、入学してからプロフェッショナルとして他人にシェア出来る自分のスキルは何だろう?と真剣に悩みました。もちろん製薬業界での知識はありますが、ビジネスに必要なコアを学ぶ最初の秋学期はIndustry の知識よりも、Function での経験のほうが重要度は高いですからね。

前職ではミーティングの最中にも積極的に発言し、上司と意見が食い違う場合にもしっかりと自分なりの根拠を持って反論するタイプでした。しかし、日本語では相手の話の最中に相手の論理、その論理と自分が食い違う点、反論するために用意する話なんかを常に反芻し、さらには自分のその後の発言の骨格を組み立てながら話を聞く事が出来ます。対して英語だと全神経を集中していないと話を理解出来ないので、そういった論理の組み立てが出来ないんです。当然、そこで意見を求められても自分の考えを整理しきれていないのでうまく発言できない。また、当時は瞬間的に自分の意見を英語で言う事が出来る程英語力も高くない。そして間が空いたりすると『あ、こいつ意見ないのか』みたいな空気になり場が流れてしまう。そんな状況の連続でした。

そんな時に思いだしたのが故・木村拓也コーチの言葉

『一番得意だった事がうまくいかない。その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか』

野球好きでない人はあまり知らないかもしれませんが、彼は投手以外の全ポジションを守り、打者としてもスイッチヒッターとしてどの打順においても自身の役割を果たすユーティリティープレイヤーとしてプロの世界で19年間活躍した選手です。引退した翌年には巨人のコーチに就任するも、試合前のノック中にくも膜下出血で倒れ、37年の短い生涯を終えました。

そんな彼もプロ入りの際は高校通算35本塁打の強肩強打の捕手。しかし、周りの選手との力の差を知り愕然としたそうです。しかし、そんな中でも自身でチャンスを掴み取ろうと必死にもがき、さらに与えられたチャンスをがむしゃらにつかみに行った結果、ユーティリティープレイヤーとして一流になったと述べています。どんな困難な状況でもそれに負けずに精一杯努力する。そんな彼の生き様がその言葉に凝縮されています。

さて、自分に状況を置き換えてみると、
(1)話が理解できない訳ではない
(2)ただ、それをサマライズする余裕がない
(3)意見はあっても準備する時間がない
(4)簡単なものならともかく、難しい概念等の話になるとそれを説明する英語力がない
そんなところでした。

ではどうするか?

思い切って議論止めました(笑)
もちろん、話自体は理解しているので『あれ?自分の意見と違う!』とは思うんですよね。そしたらその瞬間に手をあげる。そしてチームメイトにあててもらう(笑)そこからしっかりと説明します。話が難しい時はホワイトボードを一面に使い、自分の頭の中に出来ているロジックを説明しつつ、絵に落として行く。

結構これは効果がありました。そしてこの作業を繰り返す事でいつの間にかそこまでしなくてもしっかりと説明できるようになってました。

きっとこれからのキャリアで自分が簡単に越えられない壁にぶつかる事もあるでしょう。そんな時も焦らずに出来る事、出来ない事をしっかり認識してその中で対策を立てていく。別に本質的に不可能な事を要求されている訳ではないので、対策と工夫をたて、それを一生懸命実行していく。そうすればいつの間にか出来ない事にも手が届くようになってたりするものだ。そんな学びでした。
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Date: 2014.07.01 Category: MBAの日常  Comments (2) Trackbacks (0)

この記事へのコメント:

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Date2014.12.14 (日) 22:28:21

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Date2019.06.17 (月) 00:20:29

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